ヤマザクラ |
学名 | Cerasus jamasakura |
別名 | カバザクラ、ホンザクラ | |
山桜 | 分類 | バラ科サクラ属 (落葉高木) |
サクラは、日本神話にある木花開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)が語源と言われる。花の美しさから、この姫に例えられ、「佐久良(サクラ)」と変化した。 これとは別に、見事な花を見て、「咲く」に古い感嘆詞の「ら」がついたとする説も。 |
APG分類 | バラ科サクラ属 (落葉高木) |
原産・分布 | 本州(宮城県以西)、四国、九州。朝鮮南部。 | |
神奈川県 | 海岸近くからブナ帯下部まできわめて普通。 | |
用途 | 庭木、公園樹、建築、家具、器具、楽器材、彫刻、樹皮は細工物 | |
日本の野生のサクラの代表。サクラ属の基本野生種11種のひとつ。 若葉と同時に開花するため、ソメイヨシノと比べると、若葉の赤味が混ざるので赤く見える。オオシマザクラは若葉が緑色なので区別できる。 有名な吉野山のサクラは本種。下欄(こぼれ話「お花見」)を参照。 見分け方(サクラ属) |
樹 横浜市 港北区 植栽040403 |
|
樹皮は紫褐色。若枝は無毛だが、翌年から皮目が多くなる。皮目は横に長くなる。 材は緻密で、かつては浮世絵の版木などに使われた。また樹皮は光沢があり、茶筒などの容器の装飾とする樺細工に用いられる。別名のカバザクラはこれによる。 ★食★コスカシバ |
幹 神奈川県 二宮町040125 |
|
葉は単葉で互生する。葉身は倒卵形あるいは長楕円形で、縁には鋭い鋸歯があり、本種は一般的に単鋸歯が多い。先は尖鋭頭。表面は表裏ともに無毛。 葉柄には1対の腺点がある(写真下部)。この葉柄の蜜腺は、サクラの仲間の共通の特徴である。 |
葉 神奈川県 二宮町 040328 |
|
4月に展葉と同時に、白色、あるいは淡紅白色の花が、散房状に2〜5個咲く。萼と花柄は無毛。 ★蜜★メジロ、ヒヨドリ 送粉 虫媒 花言葉「あなたに微笑む、純潔、高尚、淡白、美麗」 |
花 横浜市 港北区 (植栽) 040403 |
|
実は球形の核果で、5〜6月に黒紫色に熟す。小さいせいか、横向き〜上向きに付くことが多い。 ちなみに、ソメイヨシノはほとんど結実しない。オオシマザクラは、少し遅れて6月ころに熟し、下向きに付く。 ★食★アオゲラ、アカハラ、オナガ、キジバト、ツグミ、ヒヨドリ、ムクドリ、メジロ、アトリ |
実 横浜市 港北区 篠原園地 060527 |
|
サクラの種子(核)はみな同じような形状をしている。5〜7mmの楕円形で、種皮に綾が一筋ある。 ★食★ヤマガラ |
種子(核) 横浜市 港北区 070808 |
|
冬芽や枝は無毛。芽鱗の先端がやや外側に向かって開くのが、本種の特徴。小さいがゴツゴツした印象がある。1年枝の皮目が大きい。 | 冬芽 横浜市 港北区 篠原園地 061213 |
|
一般的に春の若葉は赤みを帯びる。これは、まだ軟弱な組織を紫外線から守る、あるいは虫害から守るためといわれている。 | 芽吹き 東京都町田市 160325 |
|
サクラの仲間に多い虫こぶ。サクラハチヂミフシ。アブラムシの1種が、新梢の伸長する頃に孵化し、先端部新葉に寄生して増殖を続ける。 先端部は萎縮し、新葉は裏面を内側にして巻縮、肥厚する。中に幼虫が多数いる。6月には有翅虫が出現し、2次寄生宿主に移住する。 |
葉虫こぶ 神奈川県二宮町040425 |
|
こぼれ話 「お花見」 「花見」を広辞苑で調べると、「花(おもに桜)を見てあそびたのしむこと」とある。現代では、お花見の対象はソメイヨシノになっているが、ソメイヨシノが広まる明治以前は、お花見と言えばヤマザクラだった。吉野の桜とは、このヤマザクラである。 庶民にまで花見が定着したのは、落語の「貧乏花見」にあるように江戸中期とされている。江戸では上野寛永寺のサクラが有名だったが、徳川吉宗が、庶民も花見を楽しめるようにと飛鳥山(東京都北区)や浅草隅田川河畔にサクラを植えさせた。上野の山は酒、団子が御法度だったため、庶民には飛鳥山や隅田川が人気だったようだ。(写真「絵本江戸土産」あすか山花見のてい) さらに時代を逆上ると、花見の対象がヤマザクラになったのは平安時代以降とされている。当時の花見は、文化人や貴族の宴で、おもに歌集や文学作品の中からうかがえる。平安以前は、中国文化の影響が強く、花と言えばウメになる。「万葉集」にもウメの花をめでる歌が多い。 |
||
こぼれ話「吉野山の桜」 奈良県大峰山系北端の吉野山には約3万本のヤマザクラが植えられているとされる。一目千本と言われ、北部の山裾から南の山上へ順に、下千本、中千本、上千本、奥千本と呼ばれている。もちろん、もともとの自生ではなく、桜が金峰山寺蔵王権現のご神木であるとされたことによる。 金峰山寺を開いた役小角(修験道の開祖)が、桜の木に蔵王権現を彫ったことから桜が信仰の対象となり、行者たちは競って桜の苗を寄進する風習となった。このために平安時代から多くの桜が植えられるようになったのだそうだ。 ヤマザクラなので1本1本に個性があり、色あいや咲き具合が異なる。遠くから見るとパッチワーク状のまだら模様となり美しい。 1594年、豊臣秀吉は徳川家康、伊達政宗、前田利家などの錚々たる武将をはじめ、5000人のお供を連れて吉野山で花見を行った。織田信長の後を継いで全国統一を成し遂げ、勢いあまった朝鮮出兵の最中である。 吉野には吉水院(現 吉水神社)に5日間滞在し、歌の会、茶の会、能の会を開き豪遊したとされているが、実は吉野に到着後3日間雨続きだったとされる。絶頂期の秀吉も、その所業を戒めるかのような天候にはどうしようもなかった。4年後に京都の醍醐寺で再び盛大な花見の会を催すが、それから5か月後に63歳で没する。 写真は(上)金峰山寺蔵王堂、(下)吉野の桜。 |