ソメイヨシノ

学名 Cerasus × yedoensis ‘Somei-yoshino’
別名  
染井吉野 分類 バラ科サクラ属 栽培品種(落葉高木)
江戸末期に、江戸染井村の植木屋が、桜の名所の「吉野」の名を付けて売り出した。実際の吉野の桜はヤマザクラのため、誤解を招くとして、明治になって付けられた名。 APG分類 バラ科サクラ属 栽培品種(落葉高木)
原産・分布 交雑種であるが、無性繁殖で全国に広く植採されている。
神奈川県 県内にも市街地から、山間部まで植採されている。
用途 庭木、公園・街路樹
葉が出る前に、淡紅色の花が枝全体に付き、豪華絢爛なため、鑑賞用として全国に広まった。東京の都花であり、日本の国花(桜)でもある。
オオシマザクラとエドヒガンの雑種と言われる。伊豆半島、あるいは済州島に自生があったとも言われているが、確認はされていない。通常、結実しないので、取木、接ぎ木などの無性繁殖が行われる。


横浜市
鶴見区
040405
樹皮は暗灰褐色で、皮目が横長になる。
雑種のためか、切り口から腐朽菌が入りやすく、病気に弱いとされる。枝を剪定した場合、2cm以上の切り口には、保護材を塗布したほうが良い。昔から「桜切るバカ、梅切らぬバカ」と言われる。
てんぐ巣病が発症したサクラは多く見かけるが、そのほとんどがソメイヨシノで、自生のサクラには少ない。


横浜市
三つ池公園
040329
材は心材、辺材による色の違いはあまりない。淡い赤味を帯びた褐色で、サクラ類の樹皮を染料とした樺色はこの色素によると思える。切断直後の材には独特の香りがある。またサクラの材のチップは燻製材として香りが強く、日本では好まれている。 切り株

横浜市
新治市民の森
150203
3〜4月に、展葉に先駆けて、散形状の花序に、3〜5個の花を開く。花弁は5枚、雄しべは30〜35個、雌しべは1個。
ほとんど実はならないが、他のサクラとの間で、果実がまれにできる。球形で紫黒色に熟す。
見分け方(サクラ属)


横浜市
三つ池公園
040329
葉は互生で、葉身は広卵状楕円形。先は急に尖り、縁は重鋸歯がある。葉の表は、ほとんど無毛、裏面の葉脈上、および葉柄に細毛がある。

横浜市
篠原園地
070516
春の花もきれいだが、秋の紅葉も見事。緑〜黄〜紅と、1枚の葉が変化する。 紅葉

藤沢市
六会
051115
花芽は太く卵形、葉芽は細長く長卵形。写真先端は、中央が葉芽と思われる。冬芽の先端に、軟毛があるのが本種の特徴。 冬芽

立川市
昭和公園
050306
サクラハチヂミフシ。サクラコブアブラムシの寄生により、新梢先端部が萎縮し、新葉は裏面を内側にして巻縮する。虫こぶは紅〜淡紫紅色になり、葉肉は肥厚する。 虫こぶ

横浜市
根岸森林公園
040507
こぼれ話
「桜前線」
→おもしろ自然観察「サクラの個性

「さくら祭り」
アメリカ合衆国ワシントンD.C.のポトマック公園周辺には8000本以上の、主に日本から贈られたサクラが植えられ、毎年3月下旬からの2週間に70万人以上の人が訪れる「全米桜祭り」が行われる。ポトマック河畔のサクラは、日本以外では世界一美しいサクラとされている。アメリカは太平洋戦争中を除き、100年以上に渡って日本との友好の印としてこのサクラを愛で、サクラを通じた交流の歴史がある。
明治17年(1884年)に日本を訪れた米国女性(エリザ・シドモア=写真)が、隅田川河畔のサクラの美しさに魅せられ、当時埋め立てられたばかりのポトマック河畔へのサクラの植樹を提案したのが始まりとされる。当初は当地の管理者から拒否されるが、その後20年以上働きかけを続ける。第27代大統領の夫人(ヘレン・ヘロン・タフト)がその計画に興味を持つと同時に、シドモアの世話になった駐米外交官などから外務省経由で東京市長 尾崎行雄の耳に入る。尾崎は日露戦争の講和に助力してもらった謝礼を考えていたところだったために、早速、東京市からアメリカにサクラの木を贈ることにした。
1909年11月に横浜港か出航し、1910年1月にワシントンに着いたら2000本のサクラの苗木は、検疫の結果、病虫害に犯されていて、全部の焼却処分を余儀なくされた。しかし、尾崎はそれにめげることなく、再度サクラの寄贈を決定する。
厳重な病虫害への管理のもと、タフト夫人が魅せられたとされる荒川堤のサクラなどが接ぎ木されて苗木が作られた。再び横浜港を出航した約3000本の苗木は、1912年3月にワシントンに到着する。そして3月27日に式典が行われ、タフト夫人と駐米日本大使夫人とが最初の2本のサクラの植樹を行った。
最初に贈られたサクラの種類は、ソメイヨシノが1800本でその他はカンザン、イチヨウ、フゲンゾウなどいわゆるサトザクラと呼ばれる八重咲きの園芸品種であり、ヤマザクラやオオシマザクラなどの自然種は含まれていない。その理由はサクラ移植の契機を作ったシドモア夫人やタフト夫人が荒川堤のサクラに魅せられたことも一因に思える。
荒川堤は五色桜として有名で、江戸時代に作られた様々な園芸品種のサクラが植えられている。荒川堤のその後の話として、太平洋戦争中にその樹の多くが薪として切られてしまったが、1981年にワシントンから35種3000本のサクラが里帰りし再び荒川沿いに植えらた。現在のサクラ並木になっている。
初めのサクラの移植後、1915年にアメリカはサクラへの返礼としてハナミズキ60本を日本に贈っている。日本にハナミズキが渡来した最初である。こぼれ話し(返礼) 参照

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